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生活的道楽 奥井禮喜(ライフビジョン代表) 《↑前のページあり》
昨日は、高井潔司教授(桜美林大学)の講演を聞いて、共感して元気が出た。 その際、『言語文化研究』という桜美林大学の研究誌をいただき、高井教授の「ジャーナリスト清水安三の中国論とその今日的意義」という論文を読んだ。 清水安三(1891〜1988)は桜美林大学を創学者であるが、卓抜したジャーナリストでもあった。 公平・公正な論理的中国観を欠く時代にあって、国際感覚に溢れ、また、無権力闘争などに眼を曇らせることなく、中国社会の根底を透徹した主張を展開したのである。 読後感は爽快。そして、いまだ清水的視点を確立しえない、わが国のジャーナリズムについて問題意識を再確認したのであります。
衆議院法務委員会の写真を見ると、うつろな表情のお方が立っておられて、これが法務大臣。 組織的犯罪処罰法改正案は、まさにわが国の刑法の根幹に照らしてどうなのかという疑問があるにもかかわらず、所管大臣がろくろく答弁できない有様だ。 おそらく昔の(といっても確定できないが)自民党であれば、中から「辞めさせろ」という声が飛び出したであろう。 そうしなかった最大の理由は、要するに法務大臣なんてどうでもよくて、審議の内容なんてどうでもよくて、単純に時間稼ぎすればよろしいという次第だ。 そして、その政治家の背後には官僚あり!
13時過ぎ、与党が組織犯罪処罰法改正案を衆議院法務委員会で強行採決した。刑法の文脈に違反し、粗雑さが露呈している法案である。 いまの政府与党は、タガが外れている。戦後政治の歴史に残る汚点だ。 政治家が、権力の重みを無視するとき、デモクラシーは最大の危機にある。 なぜか? 国家の力と権威は、国民1人ひとりの力に由来するのであって、政府与党に主権があると勘違いしている政治家が多数派だからである。
李下に冠を正さず------というのは、スモモの木の下で冠が曲がっているのを正せばスモモを盗むと間違われるかもしれないから、正さない。疑惑を招くようなことはやらないというのである。 これ社会通念である。 森友問題にせよ、加計問題にせよ、その程度の良識があれば、十分に注意を払って、疑惑を招かないようにする。 ところが、政府与党の領袖は「たまたま冠を正したら、たまたま頭の上にスモモの木があった」と居直るのである。 これ、逆転の発想というべきか。だとすれば、おそらく道を間違えたのであろう。政治家などにならず、研究者の道を選んでいれば、たまたままぐれ当たりで大発見をやったかもしれない。 そうすればノーベル賞だったかもなあ。残念ながらいまの状態はノーテンキ賞というべきだ。
フランスのマクロン大統領とドイツのメルケル首相との首脳会談は、写真を見てもなかなかよろしい雰囲気であったみたいだ。 ベルリンでは「マクロンがEUを救った」と大歓迎だったとも伝えられた。 メディアは、マクロン大統領が遭遇しているのは、「ポピュリズム、ナショナリズム、プロテクティブ・トレード」の3点セットで、容易には前進できないだろうと論評する。 確かにそうだが、この3点セットに直面しているのはマクロン大統領だけではない。はるか東洋の日本人1人ひとりも然りだ。 まして、わが国では、デモクラシーに背馳する連中が暴走している。彼我の歴史認識と、デモクラシーの深度の違いをしみじみ考えますねえ。 《以前の記事あり→》 ※感想をお寄せください‥‥ E-mail: office.com |